オーナーの独り言

オーナーの独り言

  • 現状のクリーニング業界について
  • 今後の業態を考える
  • 料金は品質である
  • 品質について考える
  • 需要減少を考える
  • ソープを考える
  • フィルターはドライの生命線

現状のクリーニング業界について

私はこの業界に入って50年、様々な業界の変遷を見てきた。
匠システムという機械販売会社を作って5年、日本中を廻り様々な業態の同業者の工場を内側から見てきた。

そのなかで感じたことは、「洗う」というこの業の本質を疎かにしていること。
もっと「洗う」「汚れを落とす」ということを勉強し努力・工夫をして欲しい。
多く見受けられるのは営業企画や接客教育、スタッフの生産管理、特殊なシミ抜き技術の研修。
それぞれ大切なことだとは思うが、私たちはクリーニング業という業の本質をもっと大切にしないといけないと思う。

「洗う」レベルが同じであれば安い方がお客様に喜ばれるに決まっている。
だから安さに対抗しようと営業で仕掛けて関心を持たせようとする。
お客様の満足を得ているから低料金の戦略も間違ってはいない。ただ、本当にそれで良いのか?
わが業は「生活代行業」なのか?
絶対違うと思う。

人は心の満足を得る為に服を買っている。それ(満足)を物として扱うという現状で良いのか?
もっと本質の「洗い」を勉強しよう。お客様は『汚れたから』『型崩れしたから』クリーニングに出す。
『業者にお願いすると買った時のように元に戻るかも?』そう思うから我々に出して頂けるのです。

しかし現状は「汚れは残っている」「シワを伸ばしているだけの仕上」になっていることが多いのが実態の為、お客様はお金を出す価値が無いと思っているのではないだろうか。

プロとして汚れは絶対に落とそう!洗うことの本質を疎かにし、臭いを付け逆汚染するなどもってのほか。

『さすが!』『クリーニングに出して良かった!』のお客様の声を勝ち取ろう!

今後の業態を考える

今、大手の業者が取り組んでいる低価格戦略は資本主義の有様として、その方向へ行くのは正解だと思う。
ただ、価格競争は体力勝負というか最後の意地の勝負になるであろう。

可処分所得が減り、消費税が上がり、対象人口が減り続ける中で我々は何をすべきなのだろうか。

今、人は格差消費をしていると云われている。
クリーニングに出す必要の無い低価格衣類は幾ら安くしても出てこない。
そうするとその人の想いが入っている服が預かれる対象商品となる。

今、私は手段として最低2つ持つべきと云っている。

  • 通常品(ただ清潔さだけを求める商品) cf.普段着
  • 選りによって買った自身の思い入れが強い商品 cf.外出着/勝負服

上記の各それぞれ取り扱いを変えるべきと考えている。
今まで、取り扱いを変えるということは、仕上げ工程だけを丁寧にすると考えている節があるが、これは違うと思う。
また、包装紙やハンガーだけを変えるだけではもってのほか。

頭から、通常品と思い入れのある商品とは異なる考えを持って扱うべきと考える。

私が経営している丸善舎では工場を完全に分けている。
その価値をお客様が理解して頂いているからこそ、お預り商品全体の半分以上は高級な商品が出ている。

扱う商品が多種多様だからこそ、クリーニングは面白いと思う。

料金は品質である

競合する他社よりも、少し高いお金を頂いてはどうか。
お客様が強い思いで買った商品を必ずしも安い料金で洗って欲しいとは思っていないと思う。
高いからこそ、自分の服を大切に扱ってくれるのではという期待が生まれる。
そこに品質が伴うと評価を頂ける。安いだけを期待していないことは、これをすると分かる

品質について考える

品質とは何なのでしょう。
広辞苑で引くと「品物の性質」と一行ある。
何のことか分からない。

40年位前、トヨタ生産方式の講習を受けている時、講師が品質とは何ですか?との質問があった。
我々はカッターの仕上げが上手い、特殊なシミ抜きが出来る、色掛けが出来る、着物の洗いが上手い等々、腕自慢的な事柄を並べ上げた。
その時ひと言、『それは特殊技術と言うのです。品質ではありません』と断じられた。
『受け付けた時からお渡しするまでが品質というのです。』
要するにトヨタのクオリティである。
それまでは洗う事、仕上げるのみに品質があるのだと考えていたのである。
ある事柄だけが長けていることが品質とは言えない。

バブルがはじけた後、ユニクロをはじめ低価格戦略が大挙してきた。
我々も安いことが正解だと、職人を切り、女性パートさんに移行し、後継者は営業戦略に走った。
その反面、技術というものを忘れる状況になった。
それから20年余り技術者という職人の養成をしてこなかった。

昔の職人と今の職人の概念は違う。
特殊な技能を持った人では無く、洗いの本質を知り、衣類を知ったうえで種々の対応が出来る人が職人と呼ばれる人たちだろう。
当然、機械・溶剤・洗剤の変わった今、知識を持ち合わせる必要がある。
そういう職意識が変わってきた(異業種でも同様)。
工場が苦手で営業戦略に傾倒しがちな昨今、本当に良い物作りが出来なくなっているのは仕方のないことだろうと思う。
しかし、それは果たして品質が高いと云えるのだろうか。

今後は益々、可処分所得が減る現状からお金を頂く以上、お客様の要求は上がっていく。
また、家庭洗濯との差別化、業者に出して良かったの評価を取り続けない限り、ますます総需要は減っていく。

ではどうするか。

我々には家庭には無いドライクリーニングという特権がある。
家庭洗剤では絶対に出来ない洗浄方法がある。
これをもっと知ってもらう。
認知を高める努力は業界全体で行う必要があると思う。
ただこれはやり続ける必要があると共に、本当にドライクリーニングして評価を取れる技術を持つことが絶対必要条件となる。

溶剤管理が疎かでやソープ・フィルター等の資材は安価な物を使用する傾向にある現状、ドライクリーニングを好評価の洗いへ変える必要がある。
これは簡単な事である。
洗い技術の研究を続けること。

更に、洗う・仕上げるに「加工」という付加手段を加えることで今後もやっていける事実がある。
サービス業の発想から加工に主張をもった業へスタンス(考え)を変える時だ。
それと共に今後はメンテナンス発想への取り組みを始める時だ。
この分野は家庭では出来ない。
我々には出来る。

お客様は我々に大切な衣類を預ける時に、必ず買った時の新品のようになれば良いと思って出して頂いている。
新品と着古した衣類の違いは何か検証しそれを戻してあげれば良いだけではないか。
ぼつぼつ家事代行業の発想からファッションケア発想へ変えてみてはどうか。


378KBpdf

需要減少を考える

クリーニング総量が減るのは、時代背景を考えると当然かもしれない。
需要減少を今考え、行動することを業界全体ですぐに取り組むべきだ。

秘策など無い。本質的には2つの問題だと考える。

  1. 業界の特徴であるドライクリーニングの良さをもっと認知してもらう努力をする
  2. 我ら業界に出して良かったの技術評価をもっと取るべき

1は、認知させる継続的な仕組みが必要だ。
今私が提案しているのは毎月29日をクリーニングの日と決め、前後一日或るいは、29日+1日位を毎月チラシに出し、店舗にノボリを立て、ポスターを貼り、チラシはセールとクリーニング技術、服の有様等を下段に書く。
業界全体で継続的に続けることでお客様の目が業界に向く。

業界新聞等を見ると月1回しかクリーニングを使用しない人が増えている。
関心を持たせるイベント化は絶対に必要だと思う。

これはできるだけ、業態の垣根を越えて全員ですべきだと思う。

2は、お客様の評価の6~7割は綺麗になったとの言葉である。
仕上評価は綿・麻のブラウスやジャケットを除いて余り聞かない。
そうなると洗いをもっと大切に考えるべきだと思う。
洗いが良くなると仕上げ効率は絶対に上がる。
洗浄理論・溶剤管理をもっと勉強すべきだと思う。
私が経営していた丸善舎では汚れが取れているのが当たり前にできている。
『さすがプロだ!』の言葉がお客様から聞こえ始めたら業界は絶対に良くなっている。

ソープを考える

我が業界が求めているソープに対する考え方を再考してみてはどうかと思う。
ソープは洗浄のための界面活性剤と風合い、その他洗うことによるダメージを抑える効果のある添加物を入れてある。
複合ソープなるものはオールマイティな平均値を求めて作られている。

私も40年位前、カチオンソープが出始めた時から、アニオンソープから切り替えた。
確かに風合いは良い。洗浄力もそこそこ良い。
惚れ込んだ。

私はその時、外交をしていたので、自分のズボンは散々洗った。
カチオンソープを使用すると風合いという柔らかさが出来る為使ったのであるが、しかし、なんだか服がフラフラする。
今はノニオンに近いカチオンソープが多くなったのはそれが分かるからだろう。

もう一つ云っておくと、風合い・仕上げ性向上を求めることにより種々のシリコンをメーカーは入れ始める。
個人的感想だが、シリコンは余り多いと洗浄力が落ちる様だ。

その為、なかなか満足できるソープが無い為、自分でアニオンソープを作り始めた。
当然、風合いや仕上げ性の良い物を添加した。
そうすると自分が納得できる洗浄力と風合い・仕上げ性の高いソープが出来た。

何でもメーカーが推奨する物を使用するのでは無く、他社との差別化を図る為にも自分で創意工夫し、納得できる商品作りをしたうえで、お客様に提供すべきだと思う。

その為には工場責任者の責任はその日洗った服の風合いやシワの加減、縫い目を見て判断する能力を持つことが必要だと思う。

難しいことでは無い。

私もクリーニング業者の息子さんを預かった時に教えているのは、一番良い風合い・仕上り具合が出てすばらしい出来上がりの時、その人に触らせ、ベストな状態を徹底的に覚えてもらう。
毎日仕事に携わる人間だからこそ、自分で判断基準を持つ必要がある。

ソープや資材は安いものには何かしらの理由がある。
中に入っている物など見て分からない。
良い物は高い。
高いから良いというものではないが、自分の基準に合うソープや資材を探すことはやり続けなければならない。
何度も云うが、判断基準は自分が持つものだと思う。
お客様に自信を持って提供出来ずにお金を頂くのは本当に失礼だと思う。

フィルターはドライの生命線

今、業界で起こっているフィルターに関する考え方は間違っていると思う。
フィルターは安ければ良いのか。
性能が同じならそうするべきだ。
しかし、現状は内容物により全然能力に違いがある。

フィルターの表面膜は30ミクロンと云われている。
昔使っていた珪藻土(ダイカライト)は5ミクロンという。
昔は面倒な手間が多かった。
その代わり使い手の考えや手法により、みごとに溶剤管理できた。

昨今、我々の要素は「簡単便利」「楽」がキーワードになっている。
手間を掛けなくなった半面、管理が疎かになり仕事が悪くなってしまうのは当然だと思う。
フィルターは安ければ良いとの考えで再生カーボン使用の安価なフィルターを使う。
カーボンを再生するのには新品の60%の経費が掛かり、しかもその性能は60%に落ちるという。
高性能フィルターの製造原価を知り得たが、産廃費込みで10,000円以下の安価なフィルターはどのようにして作られているのか不思議に思った。

見かけの安さを判断基準にするのは間違っていると思う。

『良い物を長く使う。それがエコ。』

マスメディアで云われている標語で、その通り、良いフィルターを長く使う。
その結果良い商品作りが出来る。

私は今、そのテーマでやっている。

ページトップへ